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月刊 花みずき

商店街の現状と課題
 
 ・円滑化法の廃止後は

 ・S電気店・店主の話
 


ワンポイント
印紙税の軽減措置拡充と
非課税範囲拡大

月刊 経営一番

中高生52万人を蝕む
「スマホ亡国論」

・学校に行けない重症患者

・取り上げると大暴れ
・どこからが依存か
・技術と追いかけっこ
・東アジアは“依存先進国”

編集後記
 〜時泥棒〜



業績31の原理

 経営一番 NO.125  2005年7月

 "品質へのこだわり"こそわが経営戦略

 
兵庫県西宮市の住宅街に立地する「ケーキハウス ツマガリ」は各種メディアで「行列のできる洋菓子店」として紹介され、県外からも数多くのファンが訪れる。地元を中心とした店舗展開(支店は神戸市と大阪市にある3店舗)にもかかわらず、全国の消費者から支持されている背景には、津曲孝社長の徹底した品質へのこだわりがあった。(以下は、2005年2月8日に大阪市で行われた国民生活金融公庫経済講演会での津曲社長の講演要旨である。)

祖母の教えが経営の原点
 

私は、商売をするうえで最後に生き残るのは、「本当に真心のこもった商品」であると考えています。私の場合、その商品はお菓子ですから、お客さまが本当に喜んでくださるようなお菓子を、毎日毎日作ることが最も大切だと考えています。そのために、これまで実践してきたことはたくさんありますが、現在の私の経営に影響を与えているのは、子供の頃の生活体験と祖母の教えです。

私が育ったのは宮崎県南の串間というところです。小さな村でしたが、豊かな自然がありました。海では岩場で捕れる貝や小魚が、山では柿や山芋が育ち盛りの空腹を満たしてくれました。自然の塩味、甘味はどんな調味料にもかないません。このときの感動が、現在の素材へのこだわりにつながっているのだと思います。

とはいえ、村での生活は楽ではありませんでした。両親は私が15歳のときにすでにおらず、兄弟4人を育ててくれたのは、ほとんど収入のない年老いた祖母だったのです。苦しい生活でしたが祖母からは、人間としての誇りを持ち、どんなときにも負けないことが大事だと教えられました。中学校卒業後、集団就職で上京する際も、「どんな仕事でも、行った先で一生懸命仕事せい、行った先で人に好かれろ」と言われたのを今でも覚えています。

初めての仕事は、お菓子とまったく縁のないものでした。小さな運送会社で、毎日何十トンもの荷物を運ぶのです。1週間で足の指全部にまめができるほどでしたが、田舎にいる弟たちに仕送りをするため必死でした。

1年後に移った大阪の紡績会社でもやはり荷物運びで、早朝から深夜まで働きっぱなし。立ったまま居眠りをしてしまうほど、肉体的にも精神的にも極限の状態でしたが、負けなかった。祖母の「一生懸命仕事せい」という言葉があったからです。そして、このときに自然と身についた強い体力と精神力は、その後、菓子職人として徹夜での商品づくりに取り組んだり、経営者として会社を運営するうえで大きな力になっています。

 
スイスで武者修行
 

洋菓子との出会いは17歳のときです。最初に働いた運送会社の先輩が、「お菓子屋さんにならんか」と声をかけてくれたのです。でも、洋菓子職人になるには、フランス単語で1,000ぐらい知らないと駄目らしい。「僕は九州弁しか知らんし、無理です」と断ったのです。ところが、運命という神様の仕業か、何度も断ったのに、東京からわざわざ来てくれまして、「とにかく一緒に働きたい」と、半ば無理やり東京の有名なお菓子屋さんに連れて行ってくれたのです。祖母の教えどおり一生懸命働いたことで、職場の先輩に気に入られ、それがその後の私の運命を大きく変えてくれたのだと感謝しています。

「いい目をしとる。まあ4〜5年修行しなさい」。製造部長にこう言われ、菓子職人の修行が始まりました。仕事への不安はあったのですが、仕事場を見てまずうれしかった。右も左も食べ物ばかりですから。冷蔵庫にはバナナ、冷凍庫にはアイスクリーム、食べたこともない食材だらけです。

東京での修業後、兵庫県のエーデルワイスという洋菓子工場に移りました。22歳のときです。ここでも人生の転機が訪れました。

洋菓子コンテストで賞を頂くなど、お菓子づくりの面白さを実感していたところですが、会社から「スイスでお菓子の勉強をしてこい」と言われたのです。「成果を期待している」「味を覚えてこい」と言われて送り出されたものの、いったいどんな店で修行するのかさえ、わかっていませんでした。修行先が世界で3本の指に入る店だと知ったのは、現地についてからでした。

当時、私はスイスではスイス語を使うのだと思っていたくらいですし、九州弁しか話せないから、とにかく言葉がわからない。最初に苦労したのは食べ物屋です。メニューはすべてドイツ語です。初めは、カッコつけて「サラミ」と「チーズ」を頼んだら、大皿に山盛りのサラミとメロンのように割った真ん丸いチーズが出てきてしまった。こうなると、2回目からは度胸を決めて日本語で通すしかない。あとはジェスチャーです。牛肉だったら牛のまねをする。鶏肉が食べたければ「コケコッコー、クワクワクワッ」。あとは「これを食べたいから、もってこい」と日本語ですね。

こんな生活で度胸がついたといいますか、言葉がわからなくても真剣に伝えようとすれば相手に通じるという自信がつき、修行先のお菓子の味を全部覚えてやろうと貧欲なまでに行動するようになりました。
(ニュース出所 国民生活金融公庫 調査月報5月号)次月につづく

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