「2年ほど大手アパレルにいたんですけど、当時の上司はまったく叱らず、ものすごく甘い会社。課長が部下たちを飲みに連れて行って、翌朝遅刻者が出ても、部長も課長も叱らない。こんな素晴らしい、楽園のようなところにいると、人間、駄目になると思いました(笑)。中学生の頃も、私の友人の親がとても厳しい人で、それが凄く羨ましかった。甘いのが嫌で、高校時代は郷里の兵庫から離れ、岡山で寮生活をさせてもらったほどですから」。
越智氏は、なぜそこまで自分を厳しく律しようとするのか。同氏の父親や兄弟はみな、それぞれ事業を興しており、ある意味ではその「自主独立の血」がそうさせるのかも知れない。
「会社の居心地がいいわけですから当然、離職率は低かったんですが、なぜか、私はそういう甘い環境のところから脱皮できるんです。32歳で独立した頃、アパレルの同期の連中と久々に会って話をしたら、正直言って使いものになる奴が一人もいなかった。最初に入る会社は絶対、ぬるま湯じゃなくて厳しいところを選んだほうがいいんです。」
起業し、人材採用コンサルティング会社の日本ブレーンセンターを興した頃、越智氏の指導は厳しかった。
「たった一人で興し、社長の私が決裁から雑用までしましたから、時には鬼軍曹になって尻を叩きながらやらないと、会社を拡大することなどできません。そうこうするうち、昼間から酒を飲む奴もいたし、社内恋愛を始めた者もいた。別に社員を批判しているんじゃなくて、それが創業期の現実なんです。厳しいリーダーシップを取らざるを得ません。
今は、どの企業もトップがみんな優しくなってますね。誉めることを多用していかないと、なかなか若い人が育たないと。もちろん、私も叱るだけじゃなく、いい仕事をしたら当然誉めます。叱ってばかりいたら人はついてきません。ただ、今のリーダーを見ていると、怒れないというか叱れないんですよ。優し過ぎる。そういう企業は、正直言って大きくなれません。
たとえば、早くから分社経営に乗り出して持株会社のトップに就くと経営者として練れない。できるだけ多くの社員を束ね、経営者として自分磨きもしないと。」
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