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月刊 経営一番

〜庶民にも政権にも浸透する
 孔子〜


・胡錦濤時代に“再開”
・毛沢東の前に孔子像
・習主席の「夢」も一致

編集後記
 〜経営の大局をつかむ〜



業績31の原理

 経営一番 NO.232  2014年6月
〜庶民にも政権にも浸透する孔子〜
 中国では、企業にも学校にも孔子及び儒教思想が浸透している。孔子を否定した毛沢東主義との矛盾があるが、現政権には有効な統治手段となっている。

◆胡錦濤時代に“再開”
 中国で儒教が広がっており、儒教が持つ道徳性を見直す動きが盛んになっている。ただし、こうした動きは胡錦濤国家主席時代(2003〜13年)に始まった「上からの動き」で、今後も中国共産党の統治手段として機能し続けるか注目である。
 ここで重要なのは儒教が宗教ではないことだ。中国には、仏教、道教、イスラム教、キリスト教(カトリックやプロテスタント)などを主体として多くの宗教が混在する。憲法は信教の自由を保証しているが、あくまで建前であり、チベット仏教や新疆ウイグル自治区のイスラム教、さらには地下教会や家庭教会と呼ばれる非公認のキリスト教などは厳しい弾圧を受けているのが実態である。
 現在の中華人民共和国において、儒教は伝統的な思想体系として位置づけられており、共産党も中国政府も孔子及び儒教を統治手段として前面に押し立てることには何ら支障がない。儒教は前漢(紀元前206〜8年)の武帝によって統治手段として国教化され、その後歴代王朝によって受け継がれてきたが、あくまで孔子の思想に学ぶものであって宗教ではなかった。日本で言えば、菅原道真や吉田松陰が神格化されているのに近い。
 道徳律を失った国民の状況を憂え、孔子及び儒教を活用することによる国民の意識改革を心ひそかに決意していたのが、03年3月に国家主席に就任した胡錦濤だった。胡錦濤は04年、ドイツ「ゲーティンスティトゥート」やスペイン「セルバンテス文化センター」など国家の国際文化交流機関に倣って、海外で中国語と中国文化の教育及び宣伝、友好関係醸成を目的とする機関を設立。あえて世界に冠たる思想家である孔子にちなんで「孔子学院」と命名し、同年、最初の拠点をソウルに設立した。その後、孔子学院は次々と拠点を増やし、13年12月末時点で、世界120ヵ国・地域に440ヵ所の孔子学院、646ヵ所の孔子学堂(教室)を展開している。ちなみに、日本には13ヵ所の孔子学院、7ヵ所の孔子学堂がある。
 胡錦濤は06年3月、通称「八栄八恥(八つの栄誉と八つの恥辱)」と呼ばれる「社会主義栄辱観」を発表した。これは儒教文化の精神と価値観の精髄を吸収して新時代に適合させた道徳規範であり、社会主義の価値観を明確に方向付けることにより、良好な社会モラルの形成を図り、胡錦濤が提起した社会主義和諧社会(調和のとれた社会)の構築を目指したもので、全国民が守るべき規範とされた。このため、発表当初は全国各地で「八栄八恥」のポスターが貼られ、学校でも盛んに指導が行われたが、喪失した道徳律がそう容易に回復できるはずもなく、一過性の形で下火となり、いつの間にか忘れ去られた。
 09年には、中国最大規模の国営映画会社「中国電影集団公司」が映画「孔子(邦題:孔子の教え)」を製作。これは胡錦濤の儒教への思い入れを国民に広める目的で作成された国策映画であった。


◆毛沢東の前に孔子像
 孔子を始祖とする思想体系である儒教は、2000年以上にわたって国家統治の基本として歴代の皇帝に信奉されてきた。皇帝不在となった清朝滅亡後も中華民国は、孔子及び儒教を尊重した。しかし、1949年に中華人民共和国が成立すると孔子及び儒教は否定された。
 さらに、毛沢東が政権奪還を目的に発動した文化大革命(1966年〜76年)期間中の73〜76年には、毛沢東は自己の後継者としていた林彪を極右として批判すると同時に、その同類として封建制度を思想的に支えた孔子及び儒教を批判し否定する「批林批孔運動」を展開した。この結果、孔子及び儒教は徹底的な打撃を受け、伝統的な儒教的倫理に基づく国民の道徳律は喪失した。
 文化大革命が終結した後、共産党は文化大革命を発動した毛沢東の誤りは認めたものの、革命指導者としての毛沢東の功績を否定しなかったことから、孔子及び儒教を正面切って擁護する指導者は現れなかった。その後、経済は大きな発展を遂げる一方で、国民は道徳律を喪失し極端な個人主義に走り、国内は人心が乱れ、拝金主義がのさばり、官僚の腐敗や汚職がはびこった。
 11年1月11日、北京の天安門広場の東側に位置する中国国家博物館の北門の前に高さ9.5メートルの孔子銅像が設置され、生没年が刻まれた。これは、孔子及び儒教を前面に押し出す形で、国民の道徳律に対する意識改革を目指そうとする胡錦濤の意図を表明したものと考えられた。
 ところが、3カ月後の4月21日、孔子銅像は突然、中国国家博物館西側にある北庭に運ばれた。中国国家博物館の館長は、「移転は政治とは何も関係ない」と地元メディアに答えているが、天安門の正面には孔子を批判する「批林批孔運動」を発動した毛沢東の大きな肖像画が掲げられており、それに対峙する形で孔子銅像が置かれることに対する違和感が大きな要因であった可能性は高い。


◆習主席の「夢」も一致
 13年3月に胡錦濤の後を継いで国家主席になった周近平は、中華民族の復興という「中国の夢」の実現を政権のスローガンとして掲げた。ナショナリズムの高揚を図ることで共産党による一党独裁を揺るぎないものにすることを目標としている。
 中華民族と大上段に振りかぶれば、3000年とも5000年とも言われる悠久の歴史があるが、その長い歴史の中を中華民族のバックボーンとして綿々と伝えられて来たのが孔子を始祖とする儒教であったことは揺るぎない事実である。だからこそ、胡錦濤は自身が提起した和諧社会を孔子が説いた「君臣の序」を重んじる和諧社会に求め、孔子及び儒教を活用することにより共産党が主導する和諧社会の実現を図ろうとした。その後を継いだ周近平もまた、共産党主導による中国の夢の実現を図るべく、孔子及び儒教の活用を念願に置いていることは間違いのない事実である。
 周近平は13年11月26日、孔子の故郷である山東省曲阜市にある孔子直径子孫の邸宅「孔府」を訪れた。同時に「孔子研究院」を訪ね、そこで孔子関連の2冊の本に目を留めた周近平は、「この2冊を詳細に読まねばならない」と述べた、と中国メディアは大きく報じた。果たして周近平が2冊の本を本当に読むかは別として、孔子及び儒教を重視する姿勢を公式に示したのであった。儒教は今後、共産党の統治手段となるのか。没後2493年の孔子は中国をどう見ているのか、訪ねてみたいものである。
 (ニュース出所 週刊エコノミスト(4/8))


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