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〈掃除〉
 
 ・〈海外で「寿司・刺身」は大人気〉

 ・〈食料自給率の低下〉
 



月刊 経営一番

〜日本に伝わる「美意識」は世界に誇れる文化です〜


・茶に“シンクロ”する外国人
・漫画の道は茶の湯に通ず?
・奇抜さだって「和の心」

編集後記
 〜時間銀行〜



業績31の原理

 経営一番 NO.234  2014年8月
〜日本に伝わる「美意識」は世界に誇れる文化です〜
 海外の人々に向けて、日本の伝統文化を語れる力が求められている。まずは、「茶の湯」の“わび・さびの精神”を押さえておこう。

 江戸時代の俳諧師である松尾芭蕉が『笈の小文(おいのこぶみ)』という紀行文の冒頭で、伝統的な“風雅”について次のように語っています。
 「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其の貫道するものは一なり」
 これはごく簡単に解釈すれば、西行や宗祇、雪舟、そして千利休が邁進した芸の道は、和歌や連歌、水墨画、茶の湯とそれぞれ異なれど、根本にある精神は共通しているということです。では、その精神とはいったい何なのか。利休が完成させた「草庵の茶」の文化をふまえて考えれば、それは「わび」と呼ばれる価値観だといえるでしょう。
 「わび・さび」という言葉は、「侘しさ」と「寂しさ」を表す言葉に、より観念的で美的な意味合いを加えた概念です。両者はよく混同されますが、その意味は異なります。さびは、見た目の美しさについての言葉。この世のものは経年変化で、さびれたり、汚れたり、欠けたりする。一般にそれは劣化とみなされるが、逆にその変化が織りなす多様で独特な美しさをさびというのです。一方わびは、さびれや汚れ、欠けを受け入れ楽しもうとするポジティブな心についての言葉。つまり、さびの美しさを見出す心がわびなのです。さびが表面的な美しさならば、わびは内面的な豊かさであり、両者は表裏一体の価値観といえるでしょう。
 「茶の湯(茶道)」には、このわびの精神がたっぷり詰まっています。茶は、奈良時代の終わりから平安時代の初めごろに唐から伝わり、当時は僧侶や貴族など限られた人々だけが飲んでいました。それが室町時代に入ると、安価な茶が普及したこともあり、より多くの人々が客人をもてなすために茶を点てるようになる。そうして生まれた文化が茶の湯です。とはいえ、当時の茶の湯のイメージは現在とはかなり違う。あくまで王道は、将軍や大名が屋敷の広間で飲む「書院の茶」であり、茶入は茶碗といった道具、部屋を飾る書画や花入なども高価な唐物が良いとされていたのです。
 そんなイメージを一変させたのが、戦国時代から安土桃山時代にかけて生きた茶人、千利休です。利休は、豪華な茶器を愛でて楽しむ茶の湯を否定し、清潔で簡素な空間や物のなかに観念的な美しさを見出す、新たな茶の湯を提唱しました。言うなれば、草庵の茶こそが茶の湯の本道であると強く打ち出したのです。それが「侘び茶」です。
 利休の時代から400年以上経過した現代まで、その伝統が生きてこられたのは、わびの美意識が人々の心を魅了し続けてきたからにほかなりません。日本はほんの数十年前まで、物質的な豊かさは多くの人にとって、どんなに願っても得られないものでした。応仁の乱から戦国の世にかけて荒廃した時代を生きた日本人も、明治維新の動乱や第二次世界大戦後の焼け野原を生きた日本人も、“傷一つない完璧な物”など到底手に入れられなかったのです。そんなとき、さびれや欠けなどの“不完全さ”のなかに美しさを見出す、わびの心を持つことは、人間らしい生活を送るための知恵だったともいえるでしょう。

◆茶に“シンクロ”する外国人
 茶の湯やわびの精神は、海外の人々の心も掴んでいます。それがエキゾチックで物珍しい文化だから興味を持つ人もいるかもしれませんが、多くの方は、茶の湯の持つ美意識に自らの美意識をシンクロさせる。つまり、物質的な豊かさではなく、内面的な美しさを求めるわびの心に強く共感するからこそ、茶の湯の文化に惹かれるのです。
 利休が好んだ茶室や茶道具は、過剰な豪華さが徹底的に排されているために、形ある物に内在する本質的な美しさへと人々の目を向けさせます。そうした「美の方程式」は、じつは近代デザインの発想とも通じるところがあるのです。
 たとえばドイツのバウハウスは、合理的な機能美を追求したミニマルなデザインで知られていますが、その価値観はわびの心ともシンクロします。もちろん、バウハウスと茶の湯の本質がまったく同じなわけではないし、バウハウスのデザインのなかに、わび・さびがあると考えるのも大きな間違いです。あくまで両者は、それぞれ異なる社会的背景から生まれた、まったく別の文化です。それでも互いに通じ合うところがある。そこが、茶の湯が海外でも受け入れられるポイントなのです。

◆漫画の道は茶の湯に通ず?
 現在、日本政府が売り出している漫画やアニメなどの文化も、茶の湯と通じるものがあると私は思っています。人や物の形、ときに行為そのものをデフォルメし、それらを組み立て直すことで世界観を再構築するという作業。これは日本文化の伝統的な概念でいえば、「やつし(省略すること)」と「数寄(組み合わせること)」にあたる行為で、茶の湯のなかにもしばしば見られます。
 茶の湯の空間とは、日本人の清潔で簡素な暮らしを「やつし」で、最もポジティブで美しい要素だけを抽出し、都会の茶室に「数奇」つまり再構築した、いわばバーチャルな文化空間です。そこで繰り広げられる「数奇とふるまいのインスタレーション」の中に、わびの心は宿っています。
 その美しさは、「箱庭」のなかの“仮初めの自然の美”とも似ています。箱庭の自然が外界の自然と異なるように、茶の湯のわびも、自然の中の侘しさとは似て非なるものなのです。厳密に言えば、大自然に囲まれた本当の田舎にある粗末な茅葺きの家には、わびの美しさはありません。そこにあるのはリアルな侘しい暮らしであって、個人の美意識によって見出されるわびではないのです。このことは頭の片隅に置いておくといいでしょう。

◆奇抜さだって「和の心」
 「和の心」を考えるならば、「ばさら」のような、派手で勝手気ままな振る舞いを良しとする価値観も忘れてはいけません。また、歌舞伎や人形浄瑠璃の世界に見られる「けれん」のような、奇抜さを売りとする価値観もあります。とはいえ、侘び茶の精神や数奇の美意識は、生活に取り入れやすく、人々の共感を呼んだからこそ現代まで生き続けてきた。従って、和の心を考える上で重要な文化の一つとして、まずは茶の湯を押さえておくといいでしょう。グローバル化が進むなかで、日本の伝統文化や和の心について論理的に説明する力が重要になってきています。岡倉天心が欧米の知識層向けに書いた『茶の本』の原著に使われている英語は、ネイティブにも負けない美しい表現ばかりで、侘び茶の精神を簡潔かつ的確に言い表しています。ぜひ一度、読んでみてください。
(ニュース出所 クーリエ・ジャポン 6月号)


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