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月刊 経営一番

〜キリスト教と戦争〜

「愛と平和」を説きつつ戦う論理







編集後記
〜日本文化と桜〜



業績31の原理

  経営一番 NO.254  2016年04月
〜キリスト教と戦争〜

「愛と平和」を説きつつ戦う論理 石川明人著

 「愛」と「平和」を口にするキリスト教徒が、なぜ多くの戦争に加担するのか?戦争、軍事、暴力に対するキリスト教徒の考え方、様々な関わり方を見ていく。
●全キリスト教徒中、信者が最多のローマ・カトリック教会は平和を望み、戦争を非難する。だが、正当防衛としての武力行使は権利、義務だとし、条件付きの軍事行動は肯定している。
●新約聖書には、非暴力主義を示唆する言葉がいくつもあることから、イエスは戦争を肯定していないと解釈できる。だが、聖書に「敵を愛せ」などの表現があるため、やむを得ない限りの実力行使でもって悪人を善の道に導くなら、それは敵への愛の行為ではないかなどと、議論が錯綜することとなった。
●戦争は、「経済的な利益をめぐる葛藤という側面」「思想やイデオロギーの衝突という側面」「恐怖心やプライドなどの心理的な側面」、この3つが常に混ざり合って起こる。
●キリスト教徒をはじめ、人が叫ぶ平和とは、たいてい誰かにとって都合の良い「秩序」だ。平和を求めるのは、崇高な姿勢ではなく、人間的欲望に他ならず、ほとんどの場合、「戦い」は平和のためにと思ってなされる。よって、平和を望む気持ちと、戦いを決断する気持との間に根本的な違いはない。
●人間は愛情、生き甲斐など、何らかの「意味」を感じながらしか生きられない。衣食住は満ち足りていても、意味を見いだせなくなれば死を選び、また意味のためなら人を殺せる。
●愛とは、欲や嫉妬にまみれた人間を超えた、人間にとって不自然なものだ。だから、「互いに愛し合いなさい。これが私の命令である」というイエスの言葉通り、愛は強制されるしかない。私たちに可能なのは、無理にでも愛し、互いに相手を尊重する関係をつくり、それによって現実が少しでも良くなるよう、ささやかな希望を抱くことだけである。
(ニュース出所 TOPPOINT4月号)


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