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月刊 経営一番

〜「人望力」の条件〜

@人間通…木下藤吉郎

A世間通…吉田松陰

B経済通…石田三成



編集後記
〜帝王学の教科書「貞観政要」〜



業績31の原理

  経営一番 NO.257  2016年07月
〜「人望力」の条件〜

                                         作家 童門冬二氏
 「人望」のある人の周りには自然と人が集まってくる。そして、「その人のために」と皆が誠意を持って働く。では、どうすればそうなれるのか。
 作家・童門冬二氏が、歴史上の人物を例に挙げながら「人望力」の要諦について語る。
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 人望力は、次の5つの要素によって成り立っている。従って、これらの要素を身につけることで、人望力を高めることができる。

@人間通…木下藤吉郎
 人間通とは、人間のことをよく知っているということ。人間通の人は、人の特徴を見極め、どうすれば相手が動くかを理解している。
 その好例が、木下藤吉郎(豊臣秀吉)だ。
 藤吉郎が尾張(名古屋)で織田信長に仕えたばかりの頃のこと。ある時、勤務先である清洲城の石垣が台風で壊れた。
 石垣が壊れたままではいつ敵が襲ってくるかわからない。信長は工事奉行に「至急修理せよ」と命じた。だが、何日経っても石垣は直らない。そこで信長は、今度は藤吉郎に申し付けた。
 石垣の修理を命ぜられた藤吉郎は、自分がどうすべきかを考え、成すべきことを理解した。それは、労働者が自分たちは何のために仕事をしているのか、その目的をはっきりつかめるようにすること、労働者が仕事を楽しいと感じられる状況をつくること、そして仕事の貢献に報いることだ。
 そこで藤吉郎は、まず石垣を修復する目的、仕事の意義を労働者に説いた。また、藤吉郎は工事が必要な場所を10ヵ所に分けた。
 その後で100人の労働者を10組に分け、1組に1ヶ所ずつ担当させた。さらには「最初に石垣を復旧した者は、信長様から褒美をもらってやる」と告げた。
 藤吉郎のこの言葉によって、工事は先を争って進められ、石垣は一晩のうちに修復された。その後、藤吉郎は信長に事の顛末を話した。一晩での石垣修復に気を良くした信長は、約束通り褒美を労働者に与えた。
 すると労働者たちの間では、「木下様のためなら命がけで他の仕事もしよう」と、藤吉郎人気が一気に高まったのである。

A世間通…吉田松陰
 世間通とは、情報を集め、分析し、問題点の所在を明らかにした後、選択肢・解決策を考えるということだ。
 世間の事情に明るくなければ時代を見通す先見力を持てないし、判断力・決断力にも欠け、人望は得られない。従って、世間通であればあるほど、人は集まってくる。
 この世間通の典型例が、吉田松陰である。
 松陰は、松下村塾で「情報がすべてである」という教育方針をとっていた。松陰ほど若い時から日本中を歩き回った者はいない。東北から九州まで歩き回り、自分の目で世の中を確かめようとした。そして、その時の見聞をすべてメモにして、松下村塾におけるテキストとして活用した。
 松下村塾には、高杉晋作のような中級武士もいたが、伊藤博文や久坂玄瑞など、足軽級の低身分の者も多かった。そこで松陰は、彼ら様々な門下生に対し、「実学」の重要性を説いた。
 それを通じて、松陰が提唱しようとしていたのは、今でいう「グローカリズム」である。
 松陰の教えは次のようなものだった。
 長州人である我々は、まず日本全体で今何が起こっているのか、何をすべきなのかを考える。しかし、それを考える上でも、海の彼方の国々で一体何が起こっているのか、その国際情勢下における日本の役割とは何かを考える。そしてもう一度、長州藩に立ち返って、1人1人が何をしなければならないのかを考える。こういう段取りで勉強する必要性があると説いたのだ。
 つまり、「グローバル」な感覚を持ち、「ナショナル」な問題意識を捨てずに、「ローカル」、つまり地域で生きる人間の責任・責務を考えようということだ。
 長州藩の松下村塾で育った人々の多くは、幕府を滅ぼした後、新しい政府の閣僚になった。それが可能だったのは、松下村塾で既に松陰の提唱するグローカリズムを学んでいたからである。

B経済通…石田三成
 経済とは元々、乱れた世の中を整えて、苦しんでいる民を救うという意味を持った言葉である。経済はそろばん勘定という印象があるが、単なる金勘定ではなく、社会性を持った言葉なのだ。
 ここでは、石田三成の話を紹介しよう。
 豊臣秀吉が天下人となり、大阪城主であった頃。城の脇を流れていた淀川が大雨のために氾濫したことがある。
 それを見た秀吉は、工事奉行を呼び、洪水を止めるように言う。だが、工事奉行は「とてもそんなことはできない」と、辞退する。
 次に秀吉は三成を呼び、「お前はあの洪水を止めることができるか」と尋ねた。
 三成は、次のように答えた。「洪水を止めるには、堤が切れたところに丈夫な土俵を積む必要があります。しかし緊急のことで、土俵の作成が間に合いません。願わくは城内にある米俵を土俵の代わりに使わせていただきたい」。
 秀吉は面白いアイデアだとし、これを認めた。許しを得た三成は早速労働者たちを動員し、大阪城内の米を全部、洪水の現場に運んだ。その後三成は、付近の住民に対してこう言った。
 「城から米俵を持ってきた。これを土俵の代わりに決壊した箇所詰めて水を防ごう」
 決壊箇所に米俵を積み終わった後、三成は住民に対して「すぐに土俵を作れ。丈夫な土俵を作った者には、土俵1俵に対して、先ほど積んだ米俵1俵を与える」と言った。
 普段、米を食べられない住民たちは喜び、急いで土俵を作って、米俵と交換してもらった。
 米俵をもらい喜ぶ住民に対し、三成はこう言った。「これは、あの大阪城の天下人様のお知恵だ。そのことを肝に銘じておけ」と。
 それを聞いた秀吉は、石田三成の忠臣に感動したという。そして、こうした経済感覚が日本を治める上で非常に役立つということで、秀吉が三成を重用する度合いが高まっていった。
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 童門氏はこの後、人望力に必要な残りの2つの要素、影響力、人間力について解説する。人に対して影響力を及ぼす…これは、1人1人の個性を見極めて、それに応じた育て方をすることであると論じている。
 その例として取り上げられているのが、武田信玄だ。信玄の遺した有名な言葉に「人は城、人は石垣、人は堀」というのがある。これは、人材の適材適所での活用を指す。
 つまり、部下の中には城になる者もいれば、石垣となる者もいる、あるいは堀となって敵を防ぐ役割を果たしてくれる者もいるだろう。欠点だけではなく、それぞれが持っている長所を生かすべきであるとしている。
 最後の人間力とは、人間的な器が大きいか、小さいか、である。器を大きくするには、自分の磨き、育てることが欠かせない。
 これについては、阿波藩(徳島県)藩主の蜂須賀忠英のエピソードが語られる。
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